西鬼怒川土地改良区

文字サイズ
028-622-5990

沿革・概要

トップ > 沿革・概要 > 沿革・概要

沿革・概要

◎組織の沿革・概要

 西鬼怒川土地改良区は、西鬼怒川より引水するかんがい施設及び排水施設並びに支線水路の維持管理を行う改良区で、昭和40年までは逆木土地改良区と称しその前身は逆木普通水利組合です。水利組合の起源は数百年以上前と言われていて、鬼怒川筋から河川を掘削し、宇都宮城の水量増して城の要害となし、一方開田を許可し農業用水としても利用されました。それに加え領主の荷物を船及び筏により運搬したので、元和元年(1614年)宇都宮城主奥平大膳太夫時代にこれを御用川と名付けられました。

 宝暦4年(1754年)には、当時の藩主松平忠祇は上小倉村(現在の宇都宮市上小倉町)外47カ所村にまたがる水組を定めこれを逆木組合と称し、幹線水路を逆木用水と名付けました。明治43年になると当時の郡長は水組1市7カ村(宇都宮市・横川村・平石村・豊郷村・古里村・田原村・絹島村・羽黒村)の各大字代表を河内郡役所に集め協議の結果、明治43年3月逆木用水普通水利組合が結成されました。

 その後、昭和24年の土地改良法改正に伴い、昭和27年4月逆木土地改良区に組織変更しました。

しかしながら、鬼怒川筋の各土地改良区の取水施設は昔ながらの木床堰で出水のたびに決壊し、その復旧に多大の費用投下を余儀なくされていました。そのため、昭和28年12月に関係6土地改良区による鬼怒川中部土地改良区連合を設立し、昭和31年国営事業の採択により翌32年着工、同41年佐貫頭首工及び幹線水路が完成しました。

 それを期して昭和40年に逆木土地改良区の名称を西鬼怒川土地改良区へと変更し、現在に至っています。

1.立地条件

 当土地改良区は、栃木県央部位置し鬼怒川から分流する西鬼怒川沿いの平坦な地域を包含する南北約20km、東西約8kmに及ぶ水田地帯で、地形は北端で標高約200m、南端では120mである。勾配は北から南に向かって鬼怒川の流れに沿い、約150分の1から300分の1の傾斜をなし、地質は第四紀層に属し土壌は一般に砂質壌土である。雨量は那須火山系並びに日光連邦の影響で比較的多雨地帯に属し、年間平均降雨量は1,400mm内外、灌漑期間中は700~800mmで水稲栽培に適合した農業地帯である。又、平成19年度からの市町合併により従来の一市二町から一市へと行政区の変更があったが、引続き農業用水の有効利用と適正配分に万全を期しながら各施設の保全、維持管理に努めている。

 一方、管内では昭和50年代後半ごろより圃場整備事業を目的とした土地改良区が地区毎に設立され、農地や土地改良施設の整備改修が進み、将来に亘る農業用水安定確保と有効利用が図られている。

 これらの事業完了後には、協議のうえ施設の移管を受け維持管理に当たっている。

 又、基幹施設を始め数多くの施設が耐用年数更新のピークを迎えるものや、未整備の用水路が存在しており、改良区単独事業はもとより従来の適正化事業とともに基幹施設ストマネ事業、農業基盤整備促進事業、県単事業等の整備事業を積極的に推進し事業化を図り、維持管理事業の強化に努めている。

 

2.営農等の状況

 営農の形態は主に水稲栽培で経営規模は県平均の水準であるが、兼業農家がその殆どを占めている。近年では、イチゴ・ニラ・アスパラガス等のハウス栽培の転出作物の栽培面積も増加の傾向にある。

 

3.受益面積及び組合員の状況(令和3年2月10日現在)

  ①受益面積  3,254ha(32,536,174㎡)    

  ②総組合員数 1,921名